教皇フランシスコ 連続講話「家庭」について バックナンバー
教皇フランシスコの「高齢者」についての講話①より 2015年3月4日
教皇フランシスコの「息子、娘」についての講話より 2015年2月11日
今日、子どもたちが自分の未来を思い描くのが困難になっているように思われます。以前の講話でも話しましたが、父親の存在が家庭の中で後退しているので、子どもが前に進むことに不安を抱いています。わたしたちは世代間のよい関係を、天の御父から学ぶことができます。御父はわたしたちに自由を与えながらも、決して独りぼっちにはしておかれません。わたしたちが過ちを犯しても、御父は、わたしたちへの愛を減らすことなく、忍耐強く見守り続けます。天の御父は、決してわたしたちへの愛を後退させることはありません。御父はつねに前に進みます。勧めないのはわたしたちを待っていてくださるからです。しかし、後退することは決してありません。御父はご自分の子どもたちが勇気をもって前に進むことを望んでおられます。
一方、子どもたちは新しい世界を築くことを決して恐れてはなりません。子どもたちが、自分が受け取ったものをよりよくしようとするのは正しいことです。しかし、その際には横柄になったり、傲慢になったりしてはなりません。子どもは宝だと考えなければなりませんし、親はいつも尊敬されるべきです。
2015年 教皇フランシスコ 「家庭」についての連続講話集(カトリック中央協議会)
教皇フランシスコの「高齢者」についての講話②より 2015年3月11日
わたしたちは、授かった恵みを主に感謝することができると同時に、感謝を知らない心によって生じる自分の周りの空白を埋めることもできます。さらには、若い世代の希望のために取りなすことも、過去の世代の歴史と犠牲を敬うこともできます。また、名を上げようと野心的な若者に、愛のない生活は不毛な生活だと伝えることもできます。恐れを抱いている若者に、未来への不安を克服することは可能であることを伝えることもできます。さらには、あまりも自己陶酔している若者に、受けるより与えるほうがはるかに幸せであることを教えることもできます。おじいさんとおばあさんは美しい霊的な聖域の中で「合唱」を続けます。そこでは、懇願の祈りと賛美の歌が、人生という場で懸命に働き、あがいている社会を支えているのです。
最後に、祈りは心を清め続けます。神をあがめ、神に祈ることにより、人の心は怒りや利己主義によってかたくなにならずにすみます。高齢者が自分のあかしの意味を見失い、若者を叱るだけで、いのちの知恵を伝えず、悲観的になることはなんと悲しいことでしょう。一方、信仰と人生の意味を模索している若者を高齢者が力づけることは、なんと素晴らしいことでしょう。それはまさに祖父母の使命であり、高齢者の召命です。