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カトリック教会の教え ~Teachings of the Catholic Ch.~

第2 回 カトリックとメノナイトによる合同・和解に向けた霊的巡礼

第三日 キューザ、ブリクセン
  • 聖フライナーデメッツ記念教会
  • キューザの古い石段
  • メノナイト派が幽閉されていた塔
巡礼の実質的な最終日は日曜日。ホテル近くの聖フライナデメッツ神父を記念する教区の教会のミサに参加しました。この教会で聖フライナデメッツ神父は神学生時代を過ごし、助祭としての務めを果たしました。多くの信徒がミサに参加していました。ミサの終わりに主任神父様がわたしたちを紹介してくださると思っていたのですが、残念ながら何のアナウンスもなく、せっかくの機会だったのにちょっとがっかりでした。教会の地下は記念博物館となっており、前に訪れた時よりずっとよく整備されていました。列聖式の際の大きな写真も何枚か展示されており、着物を着て奉納の行列に参加しているわたしの姿を見て、みんなびっくりでした(わたしもびっくり)。
その後キューザの町周辺の再洗礼派ゆかりの地をまわりました。ここでも古い城を訪れました。今は個人の所有になっていますが、そのオーナはインスブルックの洗足式に参加してくださり、この日は留守だから中に入ってごらんくださいと門のカギを渡してくださったそうです。町から城に登るには、昔の古い階段急な道を登ります。ここにもやはり塔があってメノナイトの信徒は幽閉されていたそうです。山の上からはキューザの町の全体を見渡せます。
聖フライナデメッツが学んだ神学校
ブリクセンのカテドラル前広場
カテドラル内にある聖フライナデメッツ像
 わたしたちが泊まっていたブリクセンという町は、聖フライナデメッツ神父様が神学を学び、叙階されたところです。司教座聖堂前に大きな広場がありますが、ここでも多くのメノナイト信徒が火刑に処せられたそうです。一人のメノナイト信徒の火刑が始まり、火が燃え上がったとき突然雨が降り出し、火が消えてしまいました。刑吏に殺せという命令が下ったのですが、刑吏は拒否しました。それで雨が上がったのち新たに乾いた薪が積み上げられ、火刑が続行されたとの解説もありました。最近ジャンヌダルクの映画を観ました。最後は火刑に処せられる場面でした。メノナイトの火刑のこの話と重なり,身の縮む思い、大変申し訳ない思いに満たされました。
 わたしは今までキリシタン迫害の歴史を知るところから、迫害を受ける者としての意識が大きかったことに気づきました。宗教改革について世界史で学んだものの、ただの知識にすぎず、何の実感もありませんでした。ブリクセンに至るアルプスの山の中、オーストリアやスイスに通じる山道の途中にトレント公会議が行われたトレントの町があります。その昔、ここに来るには大変な苦労があったであろうこんな不便なところでなぜ公会議が行われたのかと質問しました。それは、この会議が宗教改革に対するカトリック教会の姿勢を明確にし、対抗改革といわれるカトリック教会の刷新と自己改革のためで、プロテスタントとカトリックがせめぎ合っているこの地で行うことに意味があったと教えていただきました。
それぞれの地で解説を聞きながら、冷たさを感じる石牢の暗闇の中、かつての火刑場に立った時、否が応でも迫害した側に立たされ、自分の信仰の重層性というか歴史の深さを感じました。信仰の光だけでなく影の部分に触れた体験でした。昔、フィリピンで第二次世界大戦のさなか日本軍がフィリピン人に行った蛮行を聴かされたとき、「わたしは戦争を知らない」とは言えないことに気が付きました。日本人として歴史を背負って生きなければならないと感じたことを思い出しました。それだからこそ、プロテスタントに対するカトリック側の対抗意識の象徴的な教会での和解の洗足式は他人ごとではなく、自分のものとして重要に感じることができました。ともに旅をしたメノナイトの人々の信仰のルーツに触れることができ、彼らをもっと身近に感じることになった巡礼でした。
第1回の巡礼の際にオイエスで山田さんがこう証されました。「受けた癒しの恵みの意味を生涯考え続けていきたい」と。この第2回の巡礼でも同じ言葉を聞きました。癒しの恵みは神様が望まれた時に、望まれた人に与えられます。神様がその癒しを通して なぜ彼の人生に触れようとされたのか? そしてわたしたちに何を伝えたいのか? 癒しの恵みはただその時のことではなく、受けた人の生涯にわたって影響を続け、こうして共に巡礼するわたしたちひとりひとりにもその恵みが分け与えられ、かつ継続されているのではないでしょうか。
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