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カトリック教会の教え ~Teachings of the Catholic Ch.~

第2 回 カトリックとメノナイトによる合同・和解に向けた霊的巡礼

第一日 オイエスでの合同ミサ・聖餐式
  • オイエスの聖フライナデメッツ生誕記念教会においてカトリックとメノナイト合同のダブル・ユーカリスト《 合同ミサ・聖餐式 》の様子
2013年の夏にフライナデメッツ神父の列聖と、聖人の取り次ぎによりメノナイト一信徒の奇跡的快癒を記念して「第1回メノナイトとカトリック間の和解と平和構築のための霊的悔悛の巡礼」が行われました。ローマのカタコンブでの洗足式、オイエスでのフライナデメッツ神父様の記念聖堂ではダブルユーカリスト(合同ミサ・聖餐式)が行われました。
 今回は聖ヨゼフ・フライナーデメッツ 没後 110年・ 列聖15周年記念、G.ブラウロック殉教 490年 記念をあわせて、第2回カトリックとメノナイトによる合同・和解に向けた霊的巡礼がおこなわれました。
*メノナイト派、G.ブラウロックについて詳しくはこちら
この度の巡礼のクライマックスは、カトリックとメノナイトの不思議な出会いと和解を記念し、ゲオルク・ブラウロック牧師の殉教した9月6日に、オイエスの聖フライナデメッツ生誕記念教会においてカトリックとメノナイト合同のダブル・ユーカリスト《 合同ミサ・聖餐式 》でした。神言会北イタリア管区前管区長、カトリック信徒で、フッター派活動ネットワークの責任者をお勤めのホッホグルーバーさんも参加されました。
 昼食後バスでオイエスからほど近いサン・ロレンツォ・デ・セバトという所のアナバプティスト指導者ヤコプ・フッターの生家を訪れました。生家は家事で焼けてしまいましたが、そこに新たな家と、記念碑が建てられていました。
 
オイエスの山並み
聖フライナデメッツ生誕記念教会
ヤコブ・フッター
ヤコブ・フッター(1500年-1536年2月25日)は、アナバプティストの指導者、フッタライトの創立者です。フッターは南チロル(今日の北イタリア)の帽子職人でした。彼は1520年から1530年頃に根本的宗教改革の指導者になりました。ローマ・カトリックが堕落し、霊的な糧を与えなくなっていたので多くの男女がそこから離れていました。何千人もが信仰によるバプテスマ(洗礼)を望み、それは死刑になる犯罪行為でした。 モラヴィアにおいては宗教的寛容を与えられた。ここでアナバプティストはフッターの指導の下に集まり、彼らの共同体は、非暴力主義、成人の信者へのバプテスマを実践しました。ヤコブ・フッターは、モラヴィア(チェコ共和国東部の地方)とチロル地方を巡り、説教しバプテスマを施しました。彼は、1535年12月1日に捕らえられ、拷問にかけられた上、1536年2月25日に生きたまま火あぶりの刑に処されました。
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