シスターFi の福音日記 一覧へ戻る「わたしは荒れ野で叫ぶ声である」(ヨハネ1:23)2023-12-17「初めに言(ことば)があった。言は神であった」。ヨハネ福音記者は言の話をして、すぐに声の話に移る。「わたしは荒野で叫ぶ声である」。言と声の比喩を通してキリスト・イエスと洗礼者ヨハネ、つまり、わたしたちの立場を語ってくれたいのだろうか。言葉は永遠に残り、心に刻まれる。声は一時的で空に散らされ、消えていく。声は言葉のために存在する。声が先に出てなくなると、言葉の存在が現れる。声は喜んでその声の役割をする。その役割をするものとはだれか。ー洗礼者ヨハネ、すべての預言者、また、神の道を備えるわたしたち一人一人である。わたしは言のために踊り、消え失せる声になりたい。