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聖なる三位一体の神が
すべての人の心のうちに
生きますように…
 
聖アーノルド・ヤンセン
聖霊会は、世界46ヶ国で
奉仕する国際宣教修道会です。

教育、医療、福祉、保健衛生、司牧活動、難民・被災者の支援など
派遣された 場で求められることを通して人々に奉仕しています
神だけがあなたの心を満たすことがおできになります。
(共同創立者 福者ヘレナ・シュトレンヴェルク)
わたしは神の恵みによって、
最も小さいものとなり、
福音の働きに自分をささげる以外には、
何も望みません。
(共同創立者 福者ヘンドリーナ・シュテンマンス)
宣教奉仕は、本会の存在理由であり
目的である(会憲より)

シスターFi の福音日記

「異邦人の道に行ってはならない。サマリア人の町に入ってはならない。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」マタイ10:5~6

2023-07-15
わたしはイエスのこのような言葉に安心して、笑うことができる。
イエスもわたしと同じような弱い人間であった。もちろんその時代を考えると当然な話だが、イエスは神の子ではなかったか。しかし、人間イエスもキリストになるまで、たくさんの挑戦に向き合い、それを乗り越える勇気が必要だった。
サマリアの女と対話するまで、百人隊長の部下やシリア・フェニキア女性の娘の病気を治すまで、イエスは自分の境界線を越えるまでたくさんの反対や失敗に直面したに違いない。
神のみ旨がわかるまで、神と一つであると告白するまで、イエスはわたしと同じだった。でも、イエスにはそれを乗り越える勇気があって、実践した。わたしに足りない部分である。
頭はわかっても実践するに大きな犠牲が必要だ。だから、イエスに従うことは犠牲を後ろにおいてはできない部分である。
犠牲とは何か。わたしがいただいているものすべては神からのもの、それを神にお返しすることである。
わたしはイエスのこのような言葉に安心して、笑うことができる。イエスもわたしと同じような弱い人間であった。もちろんその時代を考えると当然な話だが、イエスは神の子ではなかったか。しかし、人間イエスもキリストになるまで、たくさんの挑戦に向き合え、それを超える勇気が必要だった。サマリアの女と対話するまで、百人隊長の部下やシリアぺ二キア女性の娘の病気を治すまで、イエスは自分の境界線を越えるまで失敗をしたに違いない。神のみ旨がわかるまで、神と一つであると告白するまで、イエスはわたしと同じだった。でも、イエスをそれを超える勇気があって、実践した。わたしに足りない部分である。頭はわかっても実践するに大きな犠牲が必要だ。だから、イエスを従うことは犠牲を後ろにおいてはできない部分である。
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