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聖霊会について ~Who We Are~

神言会 最初の宣教者 聖ヨゼフ・フライナーデメッツ 1月29日

宣教者の模範、聖ヨゼフ

2020-01-29
私たちのする小さなことは、神が私たちになされることとは比べようもない
 聖ヨセフ・フライナーデメッツの生涯は、理想的で熱心な若い宣教師から、香港と山東省での挫折した宣教師へ、それから再び愛の言葉を話すことを学んだ宣教師への驚くべき回心への発展の物語です。チロルの山岳地帯の息子が1879年4月に香港で下船した時、彼はこれから哀れな異教徒を救い、偶像崇拝や不信仰を根こそぎにすると確信していました。彼は人を救うため、洗礼を授け、悪霊や悪魔と戦うために母国の小教区を離れましたが、しかし誰も彼に興味を示さず、誰も会いたいと思わず、洗礼を願う者はなく、彼のメッセージに興味を示しませんでした。かれらは鼻の高い外国人を見たいと思っただけでした。彼のことを「外国人の悪魔」と呼びました。故国では彼は司祭として尊敬され、栄誉が与えられ、人々に受け入れられていました。しかしここでは、誰もどうして彼がそこにいるのか、関心もないように見えました。それらの日々を振り返って 彼はこう書いています。「来る日も来る日もわたしが見聞きし、体験したことは,度々これまで持っていた確信とはまるで反対でした。」そしてその挫折を、彼が救うために来た中国人のせいにすることもありました。ヨセフは彼の時代の人で、他の宗教について考える余地がありませんでした。宣教師とは、カトリックの信仰のために霊魂をかちとることという彼の目的を達成できないために失望し、挫折したのでした。
 彼の個人的な失望、不成功は、彼に何が間違っていたか、自分がどんな宣教方法をとって来たかを考えさせました。中国服を着ることが彼を新しい人にはしなかったことに気づき、何をすべきだったかを理解し始めました。山東省で彼は、香港では欠けていたこと、中国人と、彼らの習慣としきたり、ものの見方、彼らの文化と言語を知ることに努めました。その結果は、彼らを知れば知るほど彼らをますます評価し、尊敬することになり、真に彼らを愛し始めました。もちろんその過程は苦しいものでしたが、こうして彼は偉大な宣教師になりました。この回心によってヨセフは中国人の心を得、彼らは彼を信頼し始め、彼と共にいることを望み、彼は愛の言語を学び、彼の中国人と共に永遠への道を進みました。彼は愛する中国人と永遠まで共にいることを望みました。ヨセフはそれまで以上に神に近づき、当時の兄弟会員たちと中国の全宣教者の模範となりました。山東省に二人の宣教師が到着した時、158人だった信者数は、27年の間に受洗者は20万人、求道者は4万人を超えていました。
 1975年ヨセフ・フライナーデメッツは神言会創立者アーノルド・ヤンセンと共に教皇パウロ6世によって福者に挙げられ、2003年教皇ヨハネ・パウロ2世によってアーノルド・ヤンセンと共に聖人の列に加えられました。 
聖霊会 共同創立者 福者ヨゼファ・ヘンドリーナ・シュテンマンス 5月20日
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神言会 最初の宣教者 聖ヨゼフ・フライナーデメッツ 1月29日
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