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日本管区での活動 ~Our Activities~

八事本部共同体

マリア様に守られ、奇跡の生還 ~父の戦争体験~

2019-08-04
廃墟となったHelgoland
わたしの父は第二次世界大戦のとき、北ドイツの港町クックスハーフェンで建築会社に勤めていました。 ある日、 40歳を過ぎていたにもかかわらず、 召集令状がきました。 そのころドイツの戦況は悪化しており、 誰もが召集されていました。 ところが出発する日にそれが中止になり、 近くの島、 ヘルゴランド Helgoland(クックスハーフェンから船で4時間の場所)に軍のための建築工事をするために行くことになりました。 そこは敵が北から攻めて来るときに、 必ず戦艦も戦闘機も通過する場所で、 3000人もの兵士がそれを監視する場所でした。 兵士になりソ連などの戦地に送られていたら、 恐らく父は生き残ることはできなかったでしょう。 事実、 叔父は兵士となってソ連に送られて行方がわからなくなりました。
母はそんな父が生きていてくれるようにと、 私たち子どもたちと家で真剣に祈りました。 クックスハーフェンで大きな空襲があったとき、 実家の地下室から外があちらこちら燃えているのを見ながら、 島にいる父の安否を気遣って、 母とわたしたち子どもたちは抱き合ってマリア様に祈りました。 マリア様にしがみついて必至に祈っていた母のことを、わたしは今もよく覚えています。 わたしはまだ小学校に入る前でした。
その後、 1945年4月18日、19日と大空襲がありました。 その日、 ヘルゴランドにいた父は外で建築の仕事をしていました。 少し手を休めて、 空を見上げました。 とても青空が美しく、 天気の良い静かな日でした。 ところが海のかなたからたくさんの敵の爆撃機が近づいてくるのが見えました。 それで危ないと思い、 道具を捨てて、 すぐに島の地下に作ってあった防空壕に逃げて助かりました。 父が若い兵士たちに命を無駄にするなと地下壕に入ることを勧めたにも関わらず、 彼らは応戦するために地下壕に入らず、 亡くなりました。 その島は壊滅状態になり、 たくさんの人が亡くなり、 大勢の負傷者が出ました。
それから3週間後、 1945年5月8日にドイツは降伏しました。 島から帰還するときにも不思議なことがありました。 父は最後まで島に残り、必 要なことをしていました。 最後の引き揚げグループと一緒に小さな船に乗りました。 海には魚雷がたくさんあり、 たいへん危険な状況でした。 その小さな船を大きな船が追い越したと思うと、 大きな船は魚雷にあたったのです。 大きな船は沈まないですみましたが、その船がいなければ、 父の乗った小さな船が魚雷にあたり、 沈んでいたということでした。
私たち家族は父が生存しているかどうか全くわからず、 不安のうちに過ごしていました。 ある日、 母とわたしは台所にいました。 すると静かに静かに戸が開き、 父が帰ってきたのです。 父と母は抱き合って、 お互いに泣いて泣いて再会を喜びました。
父はこの戦争で、 神様が父の命を守ってくださったと強く思っていました。 一度目は、 兵士になって戦地に送られなかったことで命が助かったこと、 二度目は島の大空襲のとき、 仕事中に手を休めて空を見上げたので敵の爆撃機が来るのがわかり、すぐ防空壕に逃げ命が助かったこと、 三度目は島から家に戻るとき、 小さな船が魚雷にあたることを避けることができたことです。 わたしは、 母のマリア様への真剣な執り成しの祈りを神様が聞き入れてくださったと信じています。
私たち家族のこの戦争体験を通して、本当に戦争は互いに苦しむことだけで、得るものが何もないということ、だから二度とこのような悲劇を繰り返してはいけないことを、わたしは人々に伝えたいと思います。
焼け残った灯台
現在の街の様子
Holy Spirit Missionary Association (HSMA)
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