シスターFi の福音日記
「神の言葉が荒れ野でザかリアの子ヨハネに降った」(ルカ3:2)
2024-12-08
神の言葉を聞く場所として、荒れ野は必然的である。
荒れ野とは、雨も草もない砂風の荒々しい地、孤独で人間の痕跡のない場所、つまり、人間の助けが期待できなく、神だけに頼らなければならないところだ。
もし、いろいろな問題、悩み、病気がちで今の自分の生活が荒れ野だと思う人がいたなら、それは神の声が良く聞こえる時なのだと思って喜ぶべきである。
しかし、まず、悔い改めの洗礼が必要だ。
悔い改めとは、いつも自分が正しいと思う考えと態度を変えて、間違ったことを認め、神の意志に向かって生活を取り戻すことだ。
自分は「み言葉」ではなく、「荒れ野で叫ぶ声」であることが分かる謙虚な人に、神は主の道を備える方法を教えてくださるだろう。
神の救いを仰ぎ見る季節となりますように。






